読書メモ:『神々の沈黙』

『神々の沈黙』を読んだ。雑誌『BRUTUS』の村上春樹特集号で村上春樹がおすすめしていた本。51冊のおすすめ本の中でこれが一番面白そうだった。600ページ超の大著でかなり分厚い。

 

 

この本によると、人間の意識は紀元前1000年くらいに生まれたもので、それ以前は人間に意識はなかったというものだ。では意識のない人間はどのように生きていたのかというと「神々の声」にしがって生きていたという。

「神々の声」というのは、その人がいる社会の共通認識が生み出す訓戒のことだ。その人が困ったりストレスを感じると、内なる声=神々の声が「ああせよこうせよ」と囁いてくれる。声というのは、聞こえる距離がその効力に影響を持つそうだ。だから、そのに人にとってゼロ距離にある神々の声はすごく影響力が強いそうだ。

意識のある世界にいる我々にはうまくイメージしづらい。けれど、例えば走ったりピアノを弾いたり、二つのものでどちらが重いかを判断したりといった生活のいろいろな場面で「意識なし」で行ってる行動や判断はある。だから意識がなければ何もできないということではないのだ。
ホメロスの『イーリアス』には意識・内観に関係する言葉が出てこないらしい。自分が読んだ『イーリアス』『オデュッセイア』は子供向けにリライトされたものだったけど、それでも前者と後者は明らかに人間の描かれ方が違っていた印象がある。『オデュッセイア』の方が自分と重ねて読めたというか、『イーリアス』に出てくる人間は自分とは違う世界を生きている人間だった。

神々の声は右脳で作られるそうだ。右脳には言語機能はあるけど話す機能がなくて、これが内なる声=神々の声を生み出している。

神々の声に従って生きているのに不便はないのに、ではなぜ意識が生まれたのか。それは、紀元前1000年くらいをターニングポイントとして人が増えて社会が大きくなり、異文化の交わりが増えたことが原因だそうだ。この時期に大陸が沈む巨大な自然災害があって、それで住む場所を失った人たちが移動し、それぞれで閉じていた社会が交わった。神々の声は「その人がいる社会の共通認識が生み出す訓戒」だから、異なる社会の人間が交わると神々の声も異なるわけで、そうなると神々の声が絶対的なものではなくなってしまう。文字の発達も関係していて、色々な要因が重なり、神々の声は聞こえなくなった。それでも人は神々の声を求めてしまって、それが宗教にもつながってくる。

わりと壮大な話だからまとめるのが難しくて、一度読んだだけでは理解できないことも多かった。とくに2部の言語に関わる記述は難しかった。3部では音楽とか統合失調症とか、神々の声に関係する事例が取り上げられていて面白かった。科学の話も興味深く、対立関係にあるのは「宗教と科学」でなく「教会と科学」であって、科学も神に近づくための営みであったとか、そんな話もあった。

そんな感じの壮大な本だった。村上春樹がこの本を好きな理由がわかる気がする。この本を読んで音楽をもっと聞きたいと思った。