その本を読む時間が俺にはあるのか

 

 

『測りすぎ』を読んだ。教育や警察のような、公的なものにまで測定して評価をすることが蔓延している社会に警鐘を鳴らす本。

この本では教育や警察はもちろん、結局は企業においても、測定して評価する(能力給とか昇進の材料に使う)ことで、人は評価されることしかしなくなるし、改竄は起きるし、競争が激しくなってギクシャクして部署間の連携も取れなくなるし、内発的な動機を削ぐから、測定「しすぎる」ことは良くないといっている(とくに内部事情に疎い人がするとろくなことにならない)。社会は複雑なので、測れないことの方が多いのだ。

しかも数値を改竄したりその評価対象だけに力を注いでしまうと、測定対象のサンプルとして歪むから正しく測定できなくなってしまう(学力テストは「なんとなく」実施したほうが良い)。

測定することは、あくまで今後の方針を決めるための一つの材料に過ぎない。複雑であることに耐えましょう、ということかな。
あとはなんでも透明性を求めることはよくないということも書いてあり、これも頷きながら読んだ。

とはいえ、自分にとってこの本は大きな発見はなかった。以前に読んだサンデル氏の『実力も運のうち』もそうだけど、自分がわかっていることを補強するような本であり、それはそれでいいんだけど(実際読んでて面白いし、直感的にわかっていることを言語化される気持ちよさがある)、たくさんある本の中から、自分の考えを補強するものを読むほど、自分には時間の余裕はないのではないかという気がした。そんなこと言ってると全てが虚無になりそうだけど、今はそう思っている、という記録です。年齢的なものかもしれない。